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学長ブログ ~学長のつぶやき~(2018年度)

平成31年3月18日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 3月15日に本学共立講堂で、学位記授与式が挙行されました。平成の最後の学位記授与式になります。4研究科、4学部、2学科合計1414名が、午前と午後に分かれて共立講堂に集いました。
 午前と午後に分かれるとは言え、参列の家族の方も含めて共立講堂にて式典に参加できるのは大変喜ばしいことです。
 しんまいの学長として入学式に次いでの晴れの舞台における式辞、緊張しました。謝辞を述べる学生さんの方がしっかりしていると感心しました。「そのうち慣れますよ」と励まされても、緊張はとれそうにありません。
 学位記授与式は、入学式と異なる雰囲気があって好きなところがあります。緞帳の裏で座って開会を待っていると、入学式の時は静かで緊張感を感じるのに、学位記授与式の時は「わいわいがやがや」と楽しい雰囲気があります。入学式では学園歌だけですが、学位記授与式では「蛍の光」の歌もあります。私は「仰げば尊し」の方が好きですが、大学の学位記授与式では歌われません。18日の共立女子高等学校の卒業式に参列したところ、両方の歌が歌われていました。しかし、「仰げば尊し」の歌の時は、高等学校の先生方が起立して歌を聞き、私など来賓は座ったままでした。少し、残念に思いました。
 入学式は桜の満開のころに行われ、それもまた楽しみですが、桜は「散る」イメージがあり、学位記授与式にあっているようにも思います。神保町のさくら通りの桜は、ソメイヨシノと種類が異なり、オカメザクラなので今が満開です。学位記授与式を祝うようです。
 入学式の式辞は大変だけれど桜が楽しみとつぶやく学長です。



2019年2月20日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 最近、若い女性の間では日本の刀剣に関する関心が高く、刀剣女子とか言われるようです。映画でも『刀剣乱舞』が公開されています。私など、団塊の世代に言わせると、ちゃんばら時代劇ではないかと思いますが、子供のときから「ちゃんばら」が好きであった私には嬉しいことです。
 神田は、江戸時代を舞台にする時代劇の本場です。6月12日のブログに神田お玉が池の種痘所跡のことを書きましたが、そのすぐ近くに玄武館跡(千葉道場)(神田東松下町23)があります。千葉道場の千葉周作(1793~1856年)は、江戸後期の北辰一刀流の剣術家です。江戸末期の清河八郎、山岡鉄舟などが弟子として有名です。千葉周作、北辰一刀流などと聞くと、わくわくするのは団塊の世代まででしょうか?
 千葉道場を舞台にした漫画に赤胴鈴之助(武内つなよし作)があります。千葉周作の道場で修業をしながら、悪をやっつける少年剣士の話です。漫画は少年画報に1954年から連載され、大変な人気で、まずラジオドラマ化されました(1957年)。その時、千葉周作の娘(さゆり)役だったのが吉永小百合さんです。吉永さんの芸能界デビュー作品になります。映画デビューは、2年後の1959年です。
 その当時はテレビ時代の前なので、ラジオの次は映画化され(1957年~1958年、全9本)、連続ドラマのように続きました。私は、その頃小学校低学年で、ラジオを聞いたのは覚えていませんが、映画館には祖父に連れられ通ったのを思い出します。外遊びでは、近所の子たちとの「ちゃんばらごっこ」で、真空ぎりなどと叫んでいたのだと思います。
 写真は、コミックの単行本の赤胴鈴之助、第1巻(1969年、少年画報社、ヒットコミックス)です。表紙は真空ぎりをする主人公です。この単行本は、私が大学2年生のころに、つい大人買いをしたものです。単行本のセットは、度々の引っ越しにもかかわらず、今でも捨てられずに自宅の本棚にあります。
 私は、ついに剣道を習う機会がありませんでしたが、何となく今でも剣道が好きです。大学に入学してくる学生が、高校時代に剣道をしていましたと話すのを聞くと、何となく嬉しくなります。
 剣道がオリンピック種目になればと思っていましたとつぶやく学長です。



2019年2月1日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 平成最後のセンター試験が、1月19日、20日に行われ、いよいよ試験シーズンの到来です。
 大学入試センター試験は、平成2年に始まり、来年の1月で廃止され、大学入学共通テストに移行する予定です。いろいろ問題点を指摘されながらも平成の間続きました。受験生数は平成2年の41万人から今年の55万人と推移しています。いつも思うのは、センター試験の実施期日の問題です。雪害による交通機関の遅延など、毎年指摘されます。今年は、インフルエンザ流行のピークにあたり、受験生も試験場の運営者も気を使ったことと思います。
 大学への秋入試、秋入学の是非が問われたこともありましたが、18歳の4月に大学に入学し、22歳の4月に社会人となる一斉方式が続きます。多様な入試で多様な学生をといいながらも、社会の流れはなかなか変わりません。
 今年はインフルエンザの流行が早かったようです。予防接種を受ける人も多いのですが、予防は難しいようです。インフルエンザは、飛沫感染ですが感染しやすく、学校から地域社会に感染が広まることが多く、インフルエンザにかかったら学校に行かずに、自宅待機が勧められます。学校保健安全法では、発症した後5日間、かつ解熱した後に2日間出席停止と規定されています。発症した日をゼロ日として計算します。インフルエンザと診断されると薬が処方され、熱は比較的に早く下がり、元気になりますが、自宅待機を続けます。
 私の孫3人は、自宅近くの小学校に通っていますが、小学校1年生、小学校5年生、小学校1年生(双子)の順に、断続的にインフルエンザにかかり、自宅待機が継続し、共働きの両親は困っていました。同じ生活をしながら、同時にインフルエンザにかかれば対処しやすいのに、自宅待機が10日以上継続し困っていました。私の妻はもちろん自宅待機を支援しましたが、途中で体調不良になりました。私は、接触がなかったせいか、無事に過ごせました。
 今年のインフルエンザ猛威のエピソードなので紹介しました。
 来年度はインフルエンザの予防接種をしようとつぶやく学長でした。



2019年1月17日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 平成最後のお正月を特別な気持ちで迎えました。平成の30年間を振りかえれば、私個人の生活の変化以上に社会の変化が大きく、またそれは予測不能な変化でした。平成元年のベルリンの壁崩壊から、平成13年の米同時多発テロなどの世界情勢の変化、平成7年の阪神?淡路大震災から平成30年の北海道地震までの天災、日本の平均寿命の延長と少子化、格差社会の始まりなど、理不尽な出来事の多発でした。
 私は昨年4月の学長就任時に、座右の銘の一つとして「resilience」をあげました。理不尽な想定外の出来事に耐え、跳ね返す力のことです。このような時代に適応していくには、resilientな感性が求められます。
 そういう思いをこめて初詣に家族でいきました。自宅から歩いていける根津神社、白山神社、駒込天祖神社に詣でました。神社では必ずおみくじを引きます。今年は何と3回連続「末吉」で、あまり運がよくなさそうです。
 それではとバスに乗って、湯島天神にいくとお参りの列がお茶の水方面まで延びています。では神田明神へといくとここもすごい混みようです。安易な私は、神田明神と湯島天神の間にある妻恋神社に詣でました。ここは丁度いい具合でしたが、おみくじを引くのはやめました。
 妻恋神社は、湯島天神から清水坂をおり、蔵前橋通りへいく手前の妻恋坂のところにあります(写真)。
 妻恋は、古事記日本書記の日本武尊の話に由来します。ヤマトタケルノミコトは、父12代天皇景行天皇の命をうけ、西の熊襲や東の蝦夷を平定し、関東にきました。東京湾を渡る途中に暴風雨にあい、そのとき妃の弟橘ヒメ(オトタチバナヒメ)は海に身を投じ、嵐をおさめます。関東を平定したヤマトタケルノミコトは、「わが妻よ」と嘆いたとされます。そこから妻恋の名前がきているようです。関東のことを「あづま」(吾妻)と呼ぶのもそこからきているとする説があります。夫婦で初詣するのに適した神社と思いました。
 ヤマトタケルノミコト関連の話は、全国に残っているので、きっと古事記日本書記の時代の英雄であったと思います。悲劇的な最期も日本人の感性に訴えるところがあると思います。
 私、個人的にヤマトタケルノミコトの話に関心があるのは、小学生の時に見た映画、「日本誕生 昭和34年、制作東宝、稲垣浩監督」をよく覚えているからです。映画の中では三船敏郎演じるヤマトタケルノミコトが、熊襲を征伐するときに女装して相手を油断させて切りつけるシーンを覚えています。3時間の大作ですが、10歳の私は、飽きずに見たようです。
 今年は末吉かとつぶやく学長です。



2018年12月25日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 12月13日に、神田明神創建1300年記念事業、神田明神文化交流館EDOCCO開業記念式典に参加してきました。写真は昭和50年に竣工した随神門のところで案内する係の方です。
 神田明神は、730年に創建された神社で、江戸時代に江戸城と江戸の街を守護する役割を担い、東京都心の108の町(神田、日本橋、秋葉原、大手町?丸の内)の氏神とされます。神田明神は、また平安中期に関東一円を支配した平将門を合祀して、御霊を供養したことでも知られています。神田明神の神田は、首を切られ、首は京都に持ちさられた後の将門の「からだ」がなまったものとする説もあるようです。千代田区には他に大手町に平将門の首塚、九段北に将門の首を祀る築土神社など、将門由来の地が多くあります。
 平将門は朝敵逆賊とされながら、関東では反骨の武将として神社に祀られるようになるのは、日本人の心性として興味深いところです。
 本学は、神田明神の氏子ではなく、三崎神社の氏子であることは5月7日のブログで示したように三崎神社御祭礼ののぼりが本館前にあることから分かります。しかし、本学と神田明神とは近所付きあいばかりでなく、平成28年12月1日付で連携協力協定を締結しており、家政学部被服学科と連携した浴衣ショーなどでも関わりがあります。
 新年には神田明神に初もうでをしようとつぶやく学長です。



2018年12月10日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 学長になり、最初の年が暮れようとしている。学長になってからの個人的な変化を言うと、体重が増え、腹囲が増加したことがあげられます。ズボンのウエストがきつくなってきました。そんなに食べていないのにと思いますが、歩く量が減ったことは確かなようです。この頃、朝、1駅分歩くことが少なくなり、朝起きてからのラジオ体操もさぼりがちです。
 内閣府の調査によると、「この1年間におこなった運動?スポーツ種目」の第一位がウォーキングで第二位が体操(実際はラジオ体操だと思われる)です。どちらも手軽な運動ですが、体重管理には大事です。ラジオ体操は、小学校のころから親しんでいるし、誰でも、どこでもおこなえる運動です。私も、朝6時半にテレビ放送を見ながら、行ってきましたが、そう言えばここ数か月、さぼっていました。
 わが国のラジオ体操は、1928年(昭和3年)に昭和天皇の即位を祝う事業として11月1日に全国放送が始まりました。国民の健康づくりのねらいもありました。もう90年の歴史があります。
 1930年、神田万世橋署の巡査は、子供たちが夏休み中も楽しく、気を引き締めて過ごす方法として、ラジオ体操会を思いつき、佐久間公園で早起きラジオ体操会を始めました。これが、わが国のラジオ体操会の始まりです(かんぽ生命のホームページ、ラジオ体操の歴史)。佐久間公園(千代田区神田佐久間町三丁目)にそれを記念する石碑があります。
 ラジオ体操のラジオ放送は終戦後いったん終わり、1951年(昭和26年)に復活し、1952年にはラジオ体操第2が作られました。
 神田とお茶の水の間の万世橋には、1912年から1943年まで駅があり、大変な賑わいを見せた場所のようです。その後、鉄道博物館として2006年まで使用されていました。鉄道博物館に子供をつれていったのを思いだします。
 本学から歩いていける秋葉原駅の東側にラジオ体操会発祥の地があるのに感激します。
 毎朝、ラジオ体操をしようとつぶやく学長です。



2018年11月19日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 2018年11月11日(日)、宇都宮で行われた家族懇談会に行ってきました。在学生のご家族の方には多数ご出席いただき、最近の就職状況の話を熱心に聞いていただきました。また個別相談でもお子さんの状況をおたずねいただき、嬉しい限りです。家族懇談会は6年ほど前に始まったと思いますが、ご家族の方と学校関係者の信頼関係を築くうえで大事なイベントであると思っています。
 私個人的には、東京近辺の都市の状況を知るいい機会と思っています。東京に来てから長くなりますが、案外周辺の都市の状況は知らないことが多いです。
 宇都宮市は、家計調査による餃子の消費量が全国で第一位の県庁所在地です。それにちなんで餃子の像(餃子のビーナス)があるので有名です。私が、10数年前に初めて宇都宮に行って見たときは、JR宇都宮駅の東口に寂しくたっていました。栃木県名産の大谷石で作られた彫刻です。
 その後、再開発に伴い移転しようとして、落として破損したとニュースで聞いて、どうなっているのかと気になっていました。今回、駅からおりて少し探しましたが、西口のペデストリアンデッキ上にありました(写真)。感激の再会です。以前に見たときより、餃子の皮の感じがよく表現されているように思いました。
 学生の出身地のことを知ることは、学生との距離が近くなった気がして、親しみが湧きます。
 私は、また地方都市にて城郭を見るのが好きです。城郭はその地方都市の歴史が集約しているように感じることができます。今回は時間がなくて、宇都宮城址には行けませんでした。今まで、在学生家族懇談会で出かけたときに見学した城址をあげると、熊本城、甲府城址(2018年新たに国の史跡に指定された)、松本城(国宝に指定されている5城の一つ)、高崎城址などをあげることができます。
 宇都宮城は徳川家康の家臣である本田正純が築城した城ですが、徳川秀忠の日光墓参時に謀反を企てたとされた宇都宮釣天井事件で有名です。それを機に正純は失脚します。
 次回、宇都宮に行くときは宇都宮城址に行こうとつぶやく学長です。



2018年10月30日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 前回のブログでは講道館のことを書きました。講道館を代表する柔道家として名前が有名なのは姿三四郎です。
 姿三四郎は、明治期の講道館四天王と言われた西郷四郎をモデルにした小説(富田常雄 1942年)の主人公です。映画はそれを原作とし黒澤明監督のデビュー作として1943年に公開され大ヒットしました。姿三四郎は、山嵐という投げ技を得意技として描かれますが、小柄で強い柔道家を「〇〇の三四郎」と呼ぶようになりました。例えば、背負い投げを得意技として、1992年のバルセロナオリンピックで金メダルを獲得した古賀稔彦選手は、「平成の三四郎」と呼ばれました。三四郎は夏目漱石の小説でも有名で、中川信夫監督により1955年に映画化もされましたが、映画のできは黒澤明の姿三四郎の方が上です。
 私は、黒澤明監督の映画姿三四郎を、学生時代に見た記憶があります。映画の最後のシーンは、姿三四郎が宿敵桧垣源之助と右京が原で決闘する場面です。映画では決闘の決着がつかないのですが、ススキが生い茂る原野のシーンが印象的です。
 何故このような話を書いているかというと、数年前から満員の地下鉄を避けるために、毎朝、自宅から都営三田線春日駅まで歩くようにしていたところ、この右京が原(右京山)をたまたま発見したからです。文京区4丁目の本郷台の斜面に写真のように花がきれいな清和公園があります。この公園に案内板があり、斜面に右京山があり、姿三四郎が決闘をした場所と記載があります。映画好きの私は何だかうれしくなりました。知的好奇心が満たされると何だかやる気がおきてきます。
 公園のある斜面を降りていくと、白山通り春日交差点にぶつかり、すぐそばが講道館です。もっとも映画姿三四郎では、決闘シーンは箱根の仙石原でロケ撮影したらしいですが。
 2020年の東京オリンピックでは、新年号△△となっているので、柔道のヒーローは「△△の三四郎」と呼ばれるでしょうか? がんばれニッポンとつぶやく学長でした。



2018年10月9日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 神保町から小川町にかけた靖国通り沿いには、スポーツ用品店が多い。特にスキー関連の用品店が多い。何故このようにスポーツ用品店が多いかは、神保町から駿河台にかけては学生街であり、学生はよくスキーなどをするからと説明されています。
 2020年の東京オリンピックまで2年を切り、ボランティアの募集などが始まりました。しかし、今年の夏の暑さや、自然災害の多さに、無事に開催できるのかと不安になってしまいます。一方、神保町交差点から本学本館の間は、マラソン競技のコースで折り返しに相当し、2回通過するようで、楽しみにもなります。
 マラソンコースでは、東京ドーム近辺から白山通りを皇居方面に南下し、折り返して、神保町交差点を右折するコースが設定されています。
 東京ドームから白山通りを水道橋とは逆の方向にいくと講道館(文京区春日1丁目)があります。講道館は、柔道家であった嘉納治五郎が1882年(明治15年)に興した柔道の総本山です。嘉納治五郎は、日本のスポーツの振興に携わり、1911年(明治44年)に大日本体育協会(戦後の日本体育協会、現在は日本スポーツ協会)を設立し、日本のオリンピックへの参加を促進し、1912年には第5回ストックホルムオリンピックに日本は初めて参加しました。嘉納治五郎は更に日本におけるオリンピック開催にも尽力し、遂に1940年(昭和15年)の第12回オリンピック招致にこぎつけました。しかし、彼は招致に成功した1938年帰国の途上、氷川丸の船上にて77歳にて死亡しました。そのオリンピック開催は返上することになるので、嘉納治五郎が生きていたらどのような気持ちで、中止を聞いたことでしょうか。
 講道館の前には写真のように嘉納治五郎の銅像があります。丁度、白山通りを見るようにたっているので、彼が見ることがなかった東京でのオリンピックのマラソンをみるのは感慨が深いものと思います。しかも、東京では2度目になります。
 話が変わりますが、私は街角ウオッチングが好きですが、銅像を見るのが好きです。平瀬礼太著「銅像受難の近代、2011年 吉川弘文館」によると、嘉納治五郎の銅像は、朝倉文夫が原型を制作し1936年に初代が建設され、戦時中に供出され、戦後1960年に再建されたと記載されています。
 嘉納治五郎は教育家でもあります。4月28日のブログに書いた、中国からの留学生を支援したのは嘉納治五郎です。彼の出身地である神戸市の東灘区の私立高校も彼が設立と関係しています。校是は、「精力善用 自他共栄」で、講道館の教えと同じです。
 昔がなつかしいとつぶやく学長でした。



2018年9月19日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 前回のブログでは、地下鉄の利便さを妨げるスマホ見ながら歩きの迷惑を書きました。
 9月1日の朝日新聞の朝刊では中高生ネット依存7人に1人の記事がありました。2017年度の全国中高生6万4千人の調査結果、ネット依存の疑いが強い生徒の割合は、中学生で12.4%(2012年度は6.0%)、高校生は16.0%(2012年度は9.4%)の結果が報告されています。大学生ではもっとあるのではと思わせます。
 ネット依存のうちゲームのやり過ぎで日常生活が送れなくなったのは「ゲーム障害」とされます。ゲーム障害については、世界保健機関(WHO)が作成する国際疾病分類(ICD)-11に新たに掲載されます。国際疾病分類は、5月30日のブログ6月12日のブログで紹介したWHOの重要な役割の一つです。国による病気の違いを比較するには統一した病気の基準が必要です。それがICDです。ICDは、数十年毎に更新され、現在使っているICD-10は、日本では平成7年(1995年)から使われています。ICD-11は平成30年(2018年)6月に公表され、2022年1月から利用開始されます。その中でゲーム障害が新たな病気として登録されると話題になりました。
 ド?ケルバン病という、手指の母指の使いすぎによる手関節の腱鞘炎は、古くからある病気ですが、スマホの片手操作で増えている可能性が指摘されています。
 そのうち人間の頸部が生まれつき前傾し、スマホを見るのに適応した体形になるかも知れません。
 写真は駒込の吉祥寺にある二宮金次郎像です。二宮金次郎は江戸時代後期の農政家であり、貧困の中で苦学し、大成した学者です。薪をかつぎながら本を読む像は、勤勉の象徴として、昔は小学校に必ずこのような銅像がありました。まさにながら歩きである。今はあまり教育上推奨されないようです。
 実は私は高校受験のころが生涯で最も勉強した時期です。学校の行きかえりに歩きながら、昨晩に勉強してメモ用紙に書いた要点をみながら、記憶したことを思い出します。エビングハウスの忘却曲線では覚えたことの67%は1日で忘れるので、くり返し記憶することが記憶の定着に大事だとそのころ思っていたと思います。
 上を向いて歩こうとつぶやく学長です。



2018年8月21日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 8月4日、5日には夏休みのオープンキャンパスが行われました。猛暑の中、多数の高校生と保護者の方に参加いただき感謝します。8月19日は秋らしい天気となり、更に多数の方に参加いただきました。
 学部?科のコーナーでは、2020年4月の開設を目指して構想中のビジネス学部(仮称)の案内も始まりました。
 ビジネス学部(仮称)のキャッチフレーズは、「東京の真ん中で、ビジネスを。」です。本学は、東京の真ん中に位置し、アクセスがよいことを強みと考えています。東京の真ん中の意味は、東京都の面積重心の位置を言うのではなく、東京駅や大手町などのビジネスの中心街に最も近い大学、皇居に近い大学を言い表しています。
 アクセスの点では、本学よりすぐの神保町駅は、東京の地下鉄の路線図の真ん中に位置し、都営三田線、都営新宿線、半蔵門線の3線があります。東西線の竹橋駅、九段下駅からも近いです。少し歩けば、JRの水道橋駅、御茶ノ水駅があります。東京の真ん中の意味は、このアクセスの良さを示しています。
 教員として本学に来て以来、通勤においてはこの便利さを享受してきました。学生にとっても通学の便の良さは、本学を選んでいただいた理由の一つになるでしょう。私は毎日、都営三田線の神保町駅を乗降しています。駅からすぐに部屋にたどり着ける便利さはいいものです。
 しかし、ラッシュ時の電車の混雑には慣れることはありません。車内が混んでいるだけでもストレスですが、更に乗客のマナーの悪さには閉口します。老若男女を問わず、傍若無人のふるまいは私をイライラさせます。特に、スマホを見ながらの電車の乗り降り、駅構内の歩行はやめてほしいとつぶやく学長です。



2018年7月21日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 6月28日には学生を対象にした防災訓練が学内で行われました。千代田区の災害対策?危機管理課の方の出前講演では、地震に対する心構えを示して頂きました。千代田区は東京の中心にありますが、夜間人口6.2万人の23区内で最も人口の少ない区です。しかし、昼間の人口は約85万人もいて、昼間に地震が生じたら多くの人が帰宅困難者となります。私たち教職員や学生を含め、ほぼすべてが帰宅困難者となることが予想されます。地震がおきて交通機関がストップしたら、無理に帰宅しようとせずに学園内にとどまることを考えることが大事です。学内には、その準備をしています。このことは、東日本大震災のときに経験したことからの教訓です。
 中庭では、地震体験車による地震体験ができました。出前講演で強調された地震が発生したら、まずは落下物から身を守る重要性について体験できるものでした。中庭では、神田消防署の方々による消火器の訓練も行われました。一度経験しておくといざという時に役に立つでしょう。防災訓練は地震対策が主ですが、火災についても準備しておく必要があります。
 江戸時代には東京は大火が多かった様子が、NHKスペシャル7月1日日曜9時にて放送されていました。明暦の大火では、1657年に文京区本郷から始まり、千代田区、中央区に広がり、江戸城の天守閣まで焼き尽くしたようです。それ以来、天守閣は再建されていません。世界三大大火の一つにも数えられるようです。本学近辺は焼け野原だったでしょう。その当時の火災時には火消しより、広がりを防ぐほうに主眼をおいたようです。防災として、火除地としての空き地や広い道路が作られたようです。前回のブログで述べた護持院ケ原は、享保2年(1717年)の大火で焼失した護持院の跡地を火除地として残したものです。将軍の鷹狩の場となったというから相当広い空地です。明治に学習院や開成学校が建造され、今は石碑が残ります。
 防災訓練の最後は炊き出しの経験です。アルファ化米を使ったカレーライスはおいしかったとつぶやく学長です。



2018年6月29日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 前回のブログでは、1858年のお玉が池種痘所(神田岩本町2丁目)が、東京大学医学部発祥の地とされると書きましたが、実は東京大学発祥の地は、本学本館前の学士会館の地とされています(神田錦町)。種痘所は1年で神田和泉橋のところに移転し、1863年に医学所、1869年から大学東校と呼ばれていました。神田錦町には開成学校が明治元年1868年に作られ、洋学の教育がなされました。開成学校と文京区本郷に移転していた大学東校が一緒になって、明治10年1878年に東京大学が開設されました。神田錦町には法学部、文学部、理学部の校舎がありましたが順次本郷に移転しました。今学士会館のある地が東京大学発祥の地、我が国の大学発祥の地と言われます。
 明治19年に共立女子職業学校が創立されたことを考えると、本学の歴史は日本の大学の歴史と同じくらいに長いです。
 学士会館の斜め向かい側の学術総合センターのところには東京外国語学校発祥の地の石碑があります。1876年開設とされ、現在の東京外国語大学の前身です。九段下交差点のところに蕃書調書跡の石碑がありますが、これは江戸幕府が1856年に開設した洋学研究機関であり、これを引き継ぐのが東京外国語学校です。
 神保町界隈には他にも専修学校(後の専修大学)、東京法学社(法政大学の前身)、明治大学の前身の明治法律学校、中央大学の前身の東京法学院、などがあり、神保町界隈は大学発祥の街なのです。神田錦町には学習院(華族学校)開校の地とする石碑もあります。この地に何故、大学の前身の学校が数多く開校されたのかは良くわかりませんが、神田錦町は護持院ケ原という、防火のためのスペースがあったことも一つの要因と思われます。千代田区以外では、中央区の明石町近辺も慶應義塾発祥の地など、立教学院(後の立教大学)等複数の学校の発祥地が集まっています。これは、当時外国人の居留地があったことと関係するかもしれません。
 多くの大学はその後、この地から移転していきましたが、共立女子大学は発祥の地に残り発展してきました。発祥の地に現在の大学があることを誇りに思います。ただし、発祥当時を思わせる建物は残っていません。発祥時の遺跡が残っていればいいのにとつぶやく学長です。



2018年6月12日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 前回のブログでは、WHO(世界保健機関)の世界禁煙デーを紹介しました。WHOの活動で顕著なのはもちろん感染症対策です。5月21日月曜日の朝日新聞朝刊に、「ポリオ根絶 最後の闘い 昨年の発症者、パキスタン?アフガンの21人に」という記事がありました。ポリオ(急性灰白隨炎、脊髄性小児まひ)は、ポリオウイルスによる感染症で、便を通じて経口感染し、後遺症として麻痺を起すことのある病気です。日本でも、戦後流行し、私たち団塊の世代には小児まひとして恐れられました。その後予防接種が普及し、ワクチン株由来の感染以外はなくなりました。世界的にみても、WHOの活動によりワクチン接種が普及し、感染者のいる地域はパキスタンとアフガニスタンの国境地域を残すのみとなっています。もうすぐWHOによりポリオが根絶されたと宣言され、ポリオ予防接種が不必要になる日がくるものと思われます。
 私が何故このようなことをブログに書くかというと、公衆衛生の歴史の目撃者であることを意識したいからです。WHOが最初に根絶した感染症は、1980年の天然痘(痘そう)です。天然痘はウイルス疾患で、感染力が強く、また致死率が高い感染症として、古来から恐れられてきました。新世界で欧米諸国により持ち込まれた感染症により多くの原住民が死亡したのは、天然痘や麻疹に感染したためと言われています。天然痘に対する予防接種は、種痘と言われ、英国のジェンナーが1797年に始めたとされています。その後、種痘は全世界に広まり、日本にも1858年に神田に種痘所ができました。WHOは、1967年に根絶計画をたて、1978年に最後の患者を観察し、1980年に天然痘撲滅宣言、予防接種の中止をおこないました。
 1980年ころ、私は医師として内科系の診療に携わっていましたが、天然痘が撲滅されたことは全く認識しませんでした。その後、1989年から公衆衛生分野にかわり、WHOの活動のことを知り、歴史の目撃者になれなかったことを悔やみました。今度こそは、ポリオ撲滅の宣言を認識したいと思っています。
 WHOがポリオの次に根絶を目指している感染症は麻疹(はしか)です。麻疹は空気感染するウイルス感染症で、感染力が強いことが特徴です。しかし、予防接種を普及させることで予防できる感染症です。日本は予防接種が義務接種から勧奨接種に移行したのにともない予防接種が十分におこなわれず、2007年や2011年に麻疹が成人の間に流行し、日本は「はしかの輸出国」だと言われました。日本の予防接種の状況が世界標準より劣っていました。しかし、その後の予防接種2回摂取普及の努力により、国内の感染者がなくなり、2015年にはWHO世界保健機関西太平洋地域事務局より日本が麻しんの排除状態であることが認定されました。
 しかし、先日海外渡航者により麻疹が国内に持ち込まれ、二次感染も生じたことが大きくマスコミに報道されました。麻しん撲滅の道は遠いとつぶやくのでした。

※1(写真左) お玉が池種痘所跡(神田岩本町2丁目)
   1858年に伊藤玄朴、大槻俊斎らが種痘所を作る。東京大学医学部発祥の地とされる。
※2(写真右) お玉が池跡 近くに種痘所跡あり。




2018年5月30日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 先日の5月23日に、学内の敷地内を全面禁煙とするために喫煙場所を閉鎖するスケジュールが全学的に周知されました。新学長となっての初めての仕事のような気がして嬉しいです。ちょうど5月31日は世界禁煙デーです。世界禁煙デーは、世界保健機関(WHO)が、設立40周年を迎える1988年4月7日を第1回世界禁煙デー(World No Tobacco Day)としましたが、同日が世界保健デーと重なるために1989年から毎年5月31日を世界禁煙デーとしました。WHOの目標は世界のたばこの使用を減少させ、たばこ関連疾患を減らすことです。今年は第31回にあたります。毎年、WHOはテーマを決めており、今年は「たばこと心疾患」です。たばこ関連疾患としては肺がんなどの悪性腫瘍が有名ですが、心疾患との関連もあることを啓発するための標語です。
 たばこと心疾患の関連は、たばこと肺がんの関連とは異なる関連性を示します。喫煙者が肺がんになるリスク(危険性)は、禁煙してからも10数年は続きますが、心疾患になるリスクは、禁煙したらすみやかに低下します。私のように心疾患を心配して禁煙する人も多いのです。
 日本の厚労省は5月31日からの1週間を禁煙週間として、「望まない受動喫煙」をなくそうという標語で啓発しています。受動喫煙に望むものがあるのかという疑問がありますが、厚労省とWHOで標語は異なるようです。
 日本で受動喫煙防止の機運が高まったのは2002年の健康増進法により施設管理者に受動喫煙対策を努力義務化したことからです。これがきっかけで駅や電車内での禁煙がすすみました。本学の本館でも喫煙室が整備されました。2005年にはWHOのたばこ規制枠組み条約が発効し、たばこ広告の規制、未成年者への販売の規制などがおこなわれるようになりました。
 たばこを吸う環境が規制されるにつれ、日本人の男性の喫煙率も顕著に低下してきました。喫煙場所を閉鎖するのは、受動喫煙対策だけでなく、喫煙者の方々が禁煙しやすくするためです。これを機会に禁煙する方が増えると嬉しいとつぶやく学長です。



2018年5月16日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 本学の隣の小学館は、まんが「ドラえもん」や「うる星やつら」の出版社であり、地下鉄神保町のA8出口から通う方は、これらの宣伝画像を目にすることがあると思います。小学館の隣の集英社は、週刊少年ジャンプの「ワンピース」の出版社として有名です。このように神保町は、まんがの聖地の中にありますが、エンタメとしては映画との関連も深いようです。
 神保町の古本屋には古い映画のパンフレットやブロマイドなどを専門に扱う店があります。私が本学の勤務を始めたころ(2003年頃)、休みの日に古本街を散歩していると、私の卒業大学の先輩の先生にお会いしました。その先生は、大阪にお住まいでしたが、小津安二郎の映画ファンで、その関連書籍を探しにわざわざ古本街を散策しているところでした。私には近しい先輩でしたので、大変なつかしくまた嬉しく思い、近くの喫茶店で思い出話をしました。実は私も小津安二郎の映画ファンなのです。
 神保町界隈は比較的に映画館のある街です。現在は、岩波ホールと神保町シアターがミニシアターとしてありますが、昔はもっとあったらしい。本学の本館竣工後、卒業生の方が屋上から東の高層ビルの方を指さしながら、「学生の頃、授業の合間によく映画を見に行ったけれど、その映画館はもうないわ」と言われたのを聞きました。今の三井ビルのところに映画館があったらしい。
 岩波ホールは、1968年開設の岩波神保町ビル内のミニシアターで、大手興行会社がとりあげない名作を選んで上映しているのが特徴です。日本では戦後に映画ブームがおき、映画館数は今の10倍近くあり、観客数も年間10億人を超えていました。その後、1960年代のテレビの普及に伴い、映画館数、観客数も減ってきました。私が生まれたK市は、人口5万人でしたが映画館が5館もあり、小学生のころは毎週のように祖父につれられ映画館に通いました。そのころの映画は連続活劇が多く、毎回に「続く」という終わり方をするので、次の週には見に行きたくなります。今では、その市には映画館は1館もありません。映画斜陽の時代に、映画の灯を消さないように作られたのが岩波ホールです。映画に凝っていた学生時代に見に来たのを思い出します。ちょっと難解な芸術的な映画が上映されるのが特徴です。
 私が今凝っているのは神保町シアターです。神保町シアタービル(神田神保町1-23)にお笑い劇場の神保町花月と一緒に入っています。神保町シアターは小学館運営で、いわゆる名画座の範疇に入る映画館です。名画座とは過去に封切りされた映画を、封切り映画の料金より安価で上映する映画館です。私が学生のころには都内には多くの名画座があり、安価な料金で名画が見られるのが特徴で、学生に人気でしたが、減ってきました。その中で神保町シアターは11年前にオープンしました。このシアターの特徴は、主に日本映画について特集を組んで上映し、自由席定員制、整理番号順、各回完全入替制をとり、私のようなシニアは1回千円と安価であるのがありがたい。お客さんは私より年配の方が多い。先日の特集は、先に述べた小津安二郎の特集で、「映画監督小津安二郎「をんな」たちのいる情景」として、14日間で10作品が上映されました。私はその中で私が生まれた年に制作された「晩春」をみにいきました。
 私が今見たいと思っている特集は、笛吹童子、赤胴鈴之助などの子供の時に見た冒険活劇です。
 もっと映画を見る余裕がほしいなとつぶやく学長です。



2018年5月7日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 4月29日のNHK日曜日スペシャルのテーマは、シリーズ大江戸 サムライが築いた「水の都」で、東京の水路のことが紹介されていました。
 そういえば、先日から本館の入り口に連休中の三崎神社祭禮の「のぼり」が飾られていました。三崎神社は、千代田区三崎町にある由緒正しい神社です。本学からほど近い水道橋駅の近くにありますが、三崎神社の三崎は、「岬」に通じ、元の三崎神社の界隈は海岸であったことを示唆します。
 東京は水路の街といわれますが、本学の周りにも水路があり、水路の街の真ん中にあります。3号館の前の水路は日本橋川で、日本橋に通じています。本学は、首都高速道路の竹橋の近くからキャンパスが見えるので有名ですが、実は首都高などは水路の上に建設されたために、高速道路からキャンパスが見えるということはキャンパスが水路に囲まれていることを示します。昭和39年(1964年)の前の東京オリンピックのときに東京に高速道路を建設するのに水路の上に高速道路を作るしか方法がなかったのでしょう。今は日本橋のたもとから船にのり、隅田川、神田川を経て水道橋のところから日本橋川にでて、本学の3号館前の水路をとおり、日本橋に戻る観光船があり、下から本学を望むこともできます。
 なるほど共立女子大学?女子短期大学は東京の中心にある大学であるとつぶやく学長でした。



2018年4月28日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 本学の住所は千代田区一ツ橋です。 一ツ橋は、今NHKで放送中の大河ドラマ「西郷どん」の中で活躍する「ヒー様」こと一橋慶喜の住居地として有名になるかもしれませんが、神田神保町の方が本学になじみのある町名です。神保町は本の街として有名ですが、カレー屋の多い街としても紹介されます。神田神保町界隈に300件のカレー店があるそうです。何故神保町にカレー店が多いかは、本を読みながら、片手で食べるのにカレーが適しているからだと説明されています。
 神保町はまた中華料理店が多い街で、神田チャイナタウンなどとも呼ばれることがあるそうです。私が感激したのは、すずらん通りに日本で最初に「冷やし中華」を販売した揚子江菜館(神田神保町1丁目)があることなどです。
 ところで何故神保町に中華料理店が多いかは、カレー屋が多い理由より学術的です。明治期には、日本は中国から留学生を多く受け入れたそうです。東亜高等予備学校は日本語学校の一つで、そこにはかの周恩来が学び、学校の跡地である神保町の千代田区愛全公園(神田神保町2丁目)には、「周恩来ここに学ぶ」の石碑があります。ちなみにこの愛全公園も千代田区の喫煙所が設置されていましたが、4月1日より閉鎖されたのは前のブログに書いたとおりです。
 明治期に来日した中国人を悩ましたのが当時日本で流行っていた「脚気」でした。脚気は、白米を主食とする当時の日本人に多い欠乏症で、重症となると心臓脚気を生じ心不全で死に至ることもあります。NHKの「西郷どん」の先日の放送で、又吉さん演じる徳川家定が急死したのは持病の脚気によるとされています。今ではビタミンB1欠乏症として認識されていますが、当時は漠然と食事に原因があると思われているだけでした。中国からの留学生に多い脚気を何とかしようとして中華料理を食べてもらうために中華料理店が多く開店したのが神保町に中華料理店が多い理由として説明されています。
 今日の昼食はカレーライスであったので、明日はチャーハンと餃子にしようとつぶやく学長です。



2018年4月20日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 春らしい天気の日は外に出て散歩をしたくなります。本学界隈は本当に散歩に適した街と思います。花鳥をめでるのが好きな人には北の丸公園があるし、街角ウオッチングが好きな人には神保町界隈は散歩していて飽きがきません。
 春の散歩では、春らしいにおいも楽しめますが、公園などに喫煙所が配置されていると煙草のにおいで折角の気分が害されてしまいます。今日たまたま俎橋のところを歩いていると、橋のたもとの公園内の喫煙所が閉鎖されていました。千代田区が生活環境条例により公園内禁煙を4月1日より行うことになったと区の職員により説明を受けました。
 これはとてもいいことだと思います。千代田区は、平成14年から罰則付きに路上禁煙をとりいれていました。平成15年に本学に赴任した私は、千代田区の禁煙の状況をつぶさに見てきました。路上が禁煙であるために、公園に喫煙所が設置されることになったのだと思われます。今回、公園内禁煙が条例で決まり、喫煙所の閉鎖になったようです。
 受動喫煙の問題は、他人の煙で自分の健康が害される理不尽さもさることながら、においの不快感が大きいと思います。実際に、喫煙者であってもレストランでは禁煙の席を好むのです。
 千代田区は屋外の禁煙が厳しいので、かえって屋内のレストランなどで喫煙ができるところが多い気もします。この頃は、煙の出ない電子たばこを屋内で吸うひとが増えているとはいえ、屋内禁煙もすすむことを期待するex-smokerのつぶやきです。



2018年4月17日

共立女子大学?共立女子短期大学 学長 川久保 清

 4月1日より学長に就任しました。新学長のデビューは、4月1日に行われた入学式での式辞でした。人前で話すことには慣れているとはいえ、大変緊張しました。式辞の内容の準備にも時間をかけましたが、いざ登壇して多数の入学生とその保護者の方々を目にすると声がふるえました。新人のデビューは1回きりですが、これから卒業式、入学式のたびに緊張しそうです。
 4月4日の金曜日は入学式を挙行した学校が多いようでしたが、私は孫の小学校の入学式に保護者として出席しました。校長先生の式辞につい聞き入りました。内容は小学校1年生に対して短くわかりやすい話でした。「みなさん3つのことに努めてください。1つ目は、学校では元気に挨拶をしましょう、2つ目は友達となかよくしましょう、3つ目は、自分で進んで勉強しましょう。」 この3つの目標を聞いて、私が大学の入学式で話そうとしたことと大きく変わらないことに気が付きました。日本の学校の教育の目指すところは、小学校から大学まで一貫しているものと思いました。

 以上が学長のブログのデビューです。