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vol.19

共立のあの先生が解説!

キャリコ通信

日本の“怖い絵”、見たくありませんか?

2018.08.07

最近ブームの“怖い絵”。ドイツ文学者の中野京子著『怖い絵』がベストセラーになり、同書に基づく展覧会も大盛況でした。殺人や処刑、陰謀などを描いた西洋絵画を目にして、残酷な描写や絵の裏に潜む歴史の闇に身を震わせた人も多くいたことでしょう。
 
今回は、そんな“怖い絵”の日本版ともいえる絵画をご紹介します。お話を伺うのは、共立女子大学文芸学部文芸学科で日本中世絵画史を教える山本聡美教授。山本先生が、学生時代から研究を続けてきた日本の“怖い絵”について、描かれた背景や宗教的意義とともに伺いました。
 
「皆さんは、餓鬼や死体などが描かれた地獄絵というものをご存知でしょうか。地獄絵とは名前の通り、仏教の経典に出てくる“地獄道”の恐ろしい世界を描きだしたもの。仏教の教えをわかりやすく伝え、深く理解してもらうために描かれた仏教説話画の一種です。その描写は非常にリアルで残酷、一目見ただけで恐怖を感じるように描かれています」
 
仏教には “観想(かんそう)”と呼ばれる修行があります。これは、経典の内容を言葉として理解するだけでなく、実際に想像してヴィジョンとして理解することを目指すもの。仏教絵画には、そうした観想の修行で用いられる目的もありました。経典が説く世界を「観て想う」ことで“真理”への到達を目指すのです。
 
「宗教絵画で私たちが思い浮かべるのは、どちらかといえばキラキラと美しく描かれた仏の絵かもしれません。仏の絵は、仏が尊い存在であることを一目で伝えるため、金箔などを使って絵全体を輝かせ、まるで仏が光そのものであるかのように見せています。地獄絵は、そうした光の世界をより一層浮かび上がらせるために、その対極にある闇の世界をより恐ろしく、残酷に描いたものなのです」
 
仏教における地獄とは、そもそものどのような存在なのでしょうか。
 
「仏教の世界観では、人間は六道(ろくどう)と呼ばれる迷いの世界に生きているとされます。六道には、天人の世界、人間の世界、阿修羅の世界があり、中でも最悪の世界として畜生、餓鬼、地獄という三つの悪道があるとされています」
 
六道に生きる者たちはみな因果応報のルールのもとに輪廻転生を繰り返しているのだそう。
 
「因果応報という概念は、皆さんもよく知っていると思います。生きている間によいことをすれば来世でよい世界へ生まれ変わり、悪いことをすれば悪道の世界へ生まれ変わってしまうという単純明快なルールです。この六つの世界のなかで人間も輪廻転生を繰り返し永遠にぐるぐると回り続けている、仏教では六道輪廻こそが苦しみの根源である、と説いているのです。六道の世界から脱出することを、『解脱』(げだつ)と呼びます。仏教を信仰する人はみな、輪廻のくびきから逃れることを目指すのです」
 
地獄絵は、六道という世界がいかに穢(きたな)く苦しい世界であるかをヴィジョンで理解させるために描かれたものだったのです。
 
それでは実際に、代表的な作品として古くから伝わる“怖い絵”を見ていきましょう。

▲地獄で胸を鬼に弓矢で射られ、真っ赤な血を流して苦しみ悶える人間の姿/「六道絵」(鎌倉時代、聖衆来迎寺蔵、『国宝 六道絵』中央公論美術出版、2007年より転載)


「源信という天台宗のお坊さんが多数の経典から阿弥陀如来の住む極楽浄土へ往生する方法の一部を抜粋してわかりやすくまとめた『往生要集』(おうじょうようしゅう)という経典があります。数ある地獄絵のなかでもっともよく知られているのが、同書をもとに描かれた鎌倉時代の『六道絵』(滋賀県?聖衆来迎寺蔵)です。全15幅からなる大きな掛け軸で、一幅の長さは160cmほど。六道それぞれの世界が描かれ、とくに地獄道では人間が鬼に責められたり、皮膚がちぎれて内臓が出ていたり、など生々しい描写がたくさん含まれています」
 
中世では、身分の高い人しか見ることのできなかった「六道絵」ですが、近世には爆発的に広まり多くの人々に衝撃を与えました。また、仏教説話画として昔から描き継がれてきた「九相図」(くそうず)も“怖い絵”の代表的な作品だそう。
 
「仏教では、人間の肉体は不浄なものと説明されています。現世で感じている喜怒哀楽や快不快、空腹などの苦しみの根源は、肉体を通して感じるものであり、肉体がある限りその苦しみから逃れることはできないという考え方です」
 
この考え方に基づく「九相図」は、人間の死体が朽ち果てていく様を九つの段階にわけて描いたもので、画面では貴族らしき美しい女性が死体となって次第に醜く朽ちていきます。

▲人間の死体が朽ち果てて最後は骨だけになった様子/「九相図巻」(鎌倉時代、九州国立博物館蔵、『九相図資料集成』岩田書院、2009年より転載)


「この絵は、どれだけ美しい姿をした人も肉体の不浄から逃れることはできない、だから肉体に執着するなということを伝えています。しかし、実際には生きている限り肉体から逃れることなど不可能。信仰すればするほど、信仰者はその乖離に苦しむことになるわけですが、そうした矛盾を通じて思考を深めていくとことに仏教の面白さがあります」
 
また、因果応報を示すための説話画に「病草紙」(やまいのそうし)という作品があります。平安時代に制作された絵画で、宮廷の中枢で作られたものなのだとか。
 
「歯の揺らぐ男や不眠、肥満の女など、現実に存在する病から、口から排便する男、など、あり得ない病まで21の病気が登場します。経典で説かれている、因果応報によるあらゆる肉体の苦しみを描き、六道輪廻の苦しみをリアルに連想させることで、信仰に導いているのです」
 

▲「歯の揺らぐ男」と題して描かれた説話画/「病草紙」(平安時代末期、京都国立博物館蔵、『病草紙』中央公論美術出版、2017年より転載)


これらの“怖い絵”からは、この世のダークサイトをよりリアルに描くことで、肉体の苦しみ、死について真正面から直視し、立ち向かっていった中世人たちの姿が浮かび上がってきます。
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「現代人は、死の存在を遠ざけて社会を営んでいます。でもこうした地獄絵を見ていた時代のように、死の可能性を実感して生きることのほうが、じつは健全なことのように私は思います」と山本教授。
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現代画家として活躍する、松井冬子さんや山口晃さんらが、この「九相図」にインスピレーションを受けた作品を制作しています。さらにそれを見た若い世代が「九相図」を知ることで、人間の肉体や生と死について考えるきっかけとなるはず。
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時代を超えて人々の心を揺さぶり続ける“怖い絵”。ぜひ、皆さんも鑑賞してみてくださいね。

取材にご協力いただいた先生はこの方!

共立女子大学 文芸学部 文芸学科

山本聡美 教授

共立女子大学文芸学部長。六道絵、九相図、十王図、仏教説話画、経説絵巻をキーワードに、中世絵画史の研究を行う。著書『九相図をよむ 朽ちてゆく死体の美術史』で2015年芸術選奨文部科学大臣新人賞、第14回角川財団学芸賞を受賞。

Photo(C)大平暁(Studio FLAT)

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